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鶴見線205系は編成間の車齢や車歴が違う!?


こんにちは!
今回は鶴見線の話題です。なんだかツイッター上では鶴見線の後継車両の話題が盛り上がっていますが、今回は後継車に関する情報ではなく、205系に関する話題を書いていきます。
鶴見線の205系は3両編成ですが、1号車と2・3号車の車両の見た目に大きな違いがあるります。こちらの写真をご覧ください。

この二両の違い、分かりますか?ドア窓の大きさが異なるのですね。鶴見線には205系が9編成在籍していますが、9編成すべての編成が1号車と2・3号車のドア窓の大きさが異なっています。205系の窓の大きさの違いというのは有名ですが、主に山手線など、比較的初期に製造された車両はのドアは小さい窓で、後期に製造された車両は大きい窓で製造されています。その違いのある車体が1編成間に混在しているということは、鶴見線の205系は初期に製造された車両と後期に製造された車両が混ざった状態になっているのです。それではこれらの車両はなぜ初期製造分と後期製造分が混ざることになったのでしょうか、今回はそのことを解説していきたいと思います。

2・3号車【モハユニット】
まずはモハユニットの2・3号車から。これらの車両はモハユニットを組んでいるため2両ワンペア。転属前から組み合わせは変わっていません。それではこれらの車両の転属前の路線はどこでしょうか。答えは山手線です。山手線を追い出された205系は基本的には武蔵野線への転属をメインとし、南武線や仙石線になどにも転用されました。複雑な編成組み換えを行ったため、主要転属路線に転属させたとしても、一部余るモハなどもあったのですね。鶴見線はその余りを改造しています。鶴見線転属用のモハユニットは基本的に武蔵野線転属の際の組み換えで余った分のモハユニットを転属させています。山手線時代は6M5Tだったものを武蔵野線では4M4Tにしているので、モハユニットに余りが発生していたのですね。その余りを使って鶴見線用に改造しているということになります。しかし、先頭車は足りないので、モハユニットを先頭化改造し、導入したと、こういった経緯になっています。



1号車【クハ】
続いては1号車のクハ。1号車のクハももちろん先頭改造で、転用前はサハでした。それではこのサハはどこからやってきているのでしょうか。こちらのサハは埼京線からやってきています。(埼京線で活躍していた205系は後期に製造された車両だったため、ドア窓が大きい車両です。) なぜ埼京線のサハが転属対象になったのかと言うと、こちらも山手線が絡んできます。山手線の205系が転属する際、組み込まれていた6ドア車2両は、埼京線の205系に組み込まれることとなり、埼京線の205系では組み換え工事が行われていました。その際、6ドア車を組み込む分、もともと組み込んでいたサハが余ってしまうわけです。この余ったサハを先頭化改造した上で、鶴見線に持ってきたわけですね。ちなみに埼京線から抜かれたサハは鶴見線以外にも武蔵野線のサハに組み込まれたり、仙石線用の先頭車に改造されたりしています。

このように1号車と2・3号車では転属前のルーツが異なり、1号車は元埼京線、2・3号車は元山手線ということになります。製造時期も元埼京線車の方がおよそ3年ほど遅いため、編成間で経歴も車齢も異なります。しかしどちらにしても、武蔵野線転属の余り物であったり、6ドア車によって追い出された物であったりと、余り物が鶴見線に回されているようにも見えるかと思います。もちろん、鶴見線に転属させることはしっかりとした計算の上で成り立っていますので、余ったからついでに鶴見線に転属させておこう…などという突発的な転属ではないことは分かると思います。しかし、結果的に長編成路線に転属した際に不要となる車両までも有効活用し、短編成路線に導入したと、今では考えられないような置き換え劇をやっていたわけですね。こういったことから、鶴見線の205系1100番台は余り物の有効活用で組成された番台ともいえるかもしれません。

このように編成間の経歴が違う205系。仙石線などでも編成間の経歴の異なる編成というのは多数存在します。それだけ205系の転属劇が複雑だったことの現われかと思います。もうここまで大規模な転属劇はJR東日本では起こらないでしょうね。残り短い活躍期間となる205系1100番台。人が少ないうちに是非行ってみてください。
最後までご覧いただきありがとうございました!