てつとお(ポケモンガオーレ、アニポケ、鉄道)のブログ

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【たった5編成】なぜ総武線に205系が導入されたのか?&現在はどこで走っている?


こんにちは!
今回は総武線に関する記事を書いていきます。
現在は全編成がE231系で運行されている中央・総武緩行線。過去には209系や103系なども活躍していましたが、そんな中でも一際少数派の形式が存在していたことがありました。その形式が205系です。
実は過去に中央・総武緩行線にたったの5編成のみ、205系が所属していたことがあったのです。今回はなぜ5編成のみ、総武緩行線205系が導入されたのか、そのことに関する記事を書いていきたいと思います。

(写真は他路線の205系を塗り替えたイメージ図となります)


事故の補填のために導入

いきなり答えを書いてしまいますと、一番最初の導入目的は事故の補填のためでした。中央・総武緩行線は1988年にかなり大きな事故を起こしています。その事故が東中野事故です。この事故は東中野駅に停車中の車両に後続の列車が衝突してしまったという事故です。この事故は死者が発生するほど、規模の大きな事故となっており、この事故によって総武線で活躍していた103系1編成と201系1編成の2編成が使用不能となってしまいました。この穴埋めとして導入されたのが205系でした。この時期はちょうど埼京線向けに205系が導入されており、そちらに導入予定だった車両のうち2編成を横取りするような形で、総武線に導入。その後は、それぞれミツ6編成とミツ23編成と付番され、計2編成が1989年中に配置されました。これが205系が導入された初の出来事でした。
その後、翌年の1990年にはミツ23編成が、当初の導入予定であった川越車両センターに転属することとなり、川越車両センターではハエ9編成となりました。一方で、ミツ6編成については川越に転属することはなく、そのまま一編成だけで総武線で活躍していくことになります。しばらく1編成だけで活躍を続けますが、1993年に転機が訪れます。
1993年のダイヤ改正に合わせて201系2編成が中央快速線に転属することになりました。更に、総武緩行線でも増発が行われることとなり、合計で3編成分の車両がプラスで必要となります。ここに導入されたのが205系でした。この際に導入されたのは新製導入された車両ではなく、他線からの転属車両です。京浜東北線からウラ1・2編成と、南武線からナハ7編成にウラ5編成の中間車4両が連結され、10両編成で転属。もともと在籍していたミツ6編成も合わせて合計4編成体制が1993年よりスタートしました。他線から転属してきた205系は、元ナハ7にはミツ21、元ウラ1にはミツ22、元ウラ2にはミツ23という編成番号が振られています。更に、ミツ6として活躍していた1989年導入の1編成もミツ20に改番され、205系は全車両20番台となりました。5編成が総武線での活躍履歴がありますが、同時に在籍していた本数としてはこのころの4編成が最大となります。
しばらく4編成体制が続いていましたが、1996年には新製時から総武線で活躍していたミツ20編成が本来の導入予定路線であった埼京線に転属することとなり、ハエ7編成として転属しました。4編成が在籍していたのはおよそ3年間だけの出来事で、その後は転属組の3編成が引き続き活躍していくことになります。また、途中で編成番号の変更も行われており、それぞれミツ14~16編成を名乗るようになりました。
このように3編成で活躍していた205系ですが、E231系の導入によって全編成が2002年には総武線から撤退します。この3編成の撤退をもって、総武線からは205系が消滅したということになりますね。撤退後、ミツ14(元ミツ21)編成はそのまま10両編成で京葉線へ転属。京葉車両センターのケヨ21編成となりました。ミツ22と23に関しては、5,6号車の2両が抜き取られ、VVVF改造などが行われた上で、武蔵野線に転属します。転属後は豊田車両センターでE39,E40編成となりました。そして抜き取られた5,6号車は先頭化改造の上、南武支線に転属。中原車両センターでナハW1,W2編成となりました。
総武線205系の歴史はこのように推移しています。





元ミツ15編成のM1編成

現在はどこで活躍している?

それではこれらの5編成、現在はどこで活躍しているのでしょうか。記事中では総武線転属直後の編成番号はお伝えしましたが、更にその後の動きについてはまとめていません。最後にそれをまとめてこの記事を終わりたいと思います。

初代ミツ23編成:ハエ9編成(10両全車)→ハエ9編成(サハ205‐162,163抜き取り)→廃車・解体(2013年)
        →抜き取られたサハ:仙石線M12編成のクハへ改造、現役

ミツ6(ミツ20編成):ハエ7編成(10両全車)→ハエ7編成(サハ205‐158,159抜き取り)→インドネシアへ譲渡、現役
           →抜き取られたサハ:武蔵野線M27編成へ組み込み→インドネシアへ譲渡、現役

ミツ21(ミツ14編成):ケヨ21編成(10両全車)→武蔵野線ケヨM36編成へ(モハ204,205‐277抜き取り)→インドネシアへ譲渡、現役
           →抜き取られたモハ:埼京線ハエ24編成へ組み込み→インドネシアへ譲渡、現役

ミツ22(ミツ15編成):モハ204,205‐279を除く8両が武蔵野線E39編成→武蔵野線ケヨM1編成→インドネシアへ譲渡、現役
            モハ204,205‐279は南武支線ナハW1編成へ改造、現役

二代目ミツ23(ミツ16編成):モハ204,205‐282を除く8両が武蔵野線E40編成→武蔵野線ケヨM2編成→インドネシアへ譲渡、現役
             モハ204,205‐282は南武支線ナハW2編成へ改造、現役

このようになっています。初代のミツ23編成のうち、8両以外は現在も国内外で現役ということですね。50両中42両が現役ということで、なかなかの残存率だと思います。現在国内で乗れるのは、仙石線のM12編成と、南武支線のW1,2編成ですね。これらの車両は元総武線の車両ということです。

このように予想外の事故によって誕生した205系、少数派ですが、今でも多くの車両が現役です。末長い活躍を願ってこの記事を終わりたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました!