てつとお(ポケモンガオーレ、アニポケ、鉄道)のブログ

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主に鉄道記事、アニメ感想を書いています。

セレナ再登場から1年 セレナが「成長した大人の姿」で再登場した意味を考える

こんにちは!
本日は2023年4月8日です。今から1年前の2022年4月8日、セレナがポケットモンスターに再登場しました。なんだか大人っぽくなって、XYのころに冒険していたあのセレナとは全く異なった雰囲気。最初に見たときは本当にセレナなのか疑ってしまうほどの成長した姿で、1日限りの復活を果たしてくれました。その前の週にはシトロンとユリーカが出演していたこともあり、夢なんじゃないかと疑ってしまうぐらい最高の月だったと、本当にそう感じます。
そんな再登場から1年。今回考えたいのはセレナが成長した姿で出演した意味です。新無印で登場した過去の旅の仲間たちはほぼ全員がサトシと冒険していたころ、そのままの姿・性格で新無印に出演していましたね。特に最後のめざポケ編なんかは、サトシとカスミとタケシ、この3人の変わらなさに重きを置いて徹底的に初代の雰囲気を残すようなそんな構成になっていました。アイリスなんかはチャンピオンになっていて、そういった面では成長と言えるのかもしれませんが、それでもサトシと話す姿はBWのころそのままでしたし、ヒカリなんかはDPと全く変わらない姿を描いてくれましたね。そんな中、セレナだけは本当に大人びた姿で出演したものです。服装も当時とは全く異なったものになって、髪型も大人っぽくなって…女の子から女性に変わったような、そんな雰囲気でした。セレナだけがこのような成長した姿を見せているのですから、アニポケ制作陣にはきっと何かしらの思惑があるはずだと思います。今回はセレナを大人びた姿で出すことによって、アニポケが何を伝えたかったのか、そういったことを考える記事にしたいと思います。

まず一つ目はコハルの先輩だということを表現するため、これが考えられることでしょう。セレナの再登場というのは決してセレナが主役なのではなく、コハルが主役のお話でした。サブタイトルは「イーブイニンフィア! 出会いと再会!!」セレナという文字は一つもつかわれていません。このお話でのセレナはあくまでも「コハルのイーブイの今後を考えるための出会いで出会った先輩トレーナー」という位置づけで、そういった意味ではこれまで出会ったイーブイの進化系のトレーナーと特段の差異はありませんでした。こういったコハルの先輩としてセレナを使いたかったから、という理由だけでセレナが大人びた姿で登場した理由は語りつくせてしまうといえばそうなんです。しかし、それだけではどうしても腑に落ちない部分があります。それがスイレンの描き方なんです。セレナ再登場のあと、コハルはイーブイのトレーナーの先輩としてスイレンと話す場面があります。この時のスイレンは「イーブイのままでいることも一つの選択」とイーブイのトレーナーの先輩としてアドバイスをしてあげますね。でも、この時のスイレンの描き方ってセレナほど先輩を強調していなかったとおもうんですよ。明らかにセレナはコハルの先輩として描いていたのに、スイレンは同年代の子からのアドバイスとして描いていました。セレナだって別にこれでも違和感はなかったと思うんですよ。それこそXYの当時の姿のままで、ニンフィアの特性を使うような場面を挟んだ日常回を描けばよかったわけで、わざわざコハルをコンテストに出させる必要って本当にあったの?と思いませんか。やはり、セレナを先輩として描いたのはただ単にコハルの先輩として使いたかったからというだけではない気がするんですね。
そこで考えられるのがXYにおける「セレナの成長」という一つの物語の重要性があまりにも大きかったという面です。セレナというのは、「サトシにハンカチを返したい」(のとサイホーンレースの練習から逃げ出したい(笑))ということが目的で旅に出始めて、決して目標があったわけではないですね。途中でトライポカロンという目標を見つけたヒロインでした。そういった意味ではセレナ登場以前のヒロインと比較しても一番サトシにおんぶにだっこ状態のヒロインだったと思います。セレナの後もリーリエやコハルのような夢や目標が分からないというヒロインは誕生しました。ある意味、セレナが一番最初の現代っ子に寄り添ったヒロインになっていたと思うんですね。だってそうでしょう、小学生のなりたい仕事がサラリーマンの時代ですよ。それぐらい夢や目標ってわからないんです。分からないからこそ、甘くみえる方に逃げてしまう、まさしくセレナというのは多くの現代っ子の体現ではないですか。ある意味アニポケで現代っ子の概念が取り入れられたのってセレナが一番最初だったと思います。アイリスなんかはドラゴンマスターに突っ走る、凄い子でしたからね。そんなセレナの成長って確かにXYの3年間で相当描いたと思います。それこそアニポケを見ながら成長する子どもたちに、夢中になれることを追いかけることってどういうことなのかを見せつけるぐらいにね。トライポカロンのマスタークラスに出場するぐらいまでいったんですから。物凄い成長だったと思いますよ。でもね、エルさんを見て感じた「自分だけが楽しむのではなく、みんなを笑顔にできるようなパフォーマー」になる新たな目標、描き切ってなかったんですよね。ヤシオさんの誘いを断ってホウエンに飛び立った決心のあと、どれぐらい成長できたのか描き切ってなかったんですよね。あの短い尺の中にセレナの演技を入れた理由がここにあるのではないかと思うわけです。セレナというのは最後の最後まで成長し続けたヒロインです。だからこそ分かれた後の成長を無視して描くことなんてできなかったのではないかと、どうしてもそう思ってしまうんですよね。エルさんをみて感じたことにどうやってセレナが取り組んできたのか、そして何よりもセレナは一体サトシから何を受け取っていたのか、この辺りを当時のXY視聴者に伝えたくて、日常回ではなくパフォーマンスをさせ、そしてコハルの先輩ポジションになったのではないかと受け取ってしまいました。みんなを笑顔にさせるパフォーマーになるための一つとしてアイドルユニットを結成したのだって全く矛盾したことではないですし。とにかくXY全編を通じて、最初から最後まで一貫して成長を描いてきたキャラとして、当時のままの姿で出すなんてことはできなかった、この辺りがセレナへの愛情なのではないかと勝手に考えてしまうところです。やはりサトシに影響を一番受けたキャラ(これは恋愛という意味だけではもちろんないです)がセレナというのは成長を描いた理由として大きかったのだと思います。
後もう一つが、サトシと会わせる以上は成長させておかないとどうしようもなかったというのも一つあると思いますね。正直、これ新無印の政策の方々は本当に酷だと思いますよ(笑)だってセレナは空港で「次に会うときはもっと魅力的な女性になっているから」と宣言してしまったんですから(笑)これが神シーンだと持ち上げられているのにそれを無下にすることなんてどうやってもできないでしょう。サトシと再会させるためには「魅力的な女性」を描かないといけないので、成長を描かないとどうしようもないというのが一つの理由だと思います。これはもう、最終回の脚本が素晴らしすぎるのが悪い(笑)しかし、そんな中で新無印の制作陣は最高級の再登場をよく描いてくれたと、心からそう思います。これは一年前にも書いたことなんですが、XY&Zの最終回のメッセージである「And to our own way」を強調するようなそんな再会の仕方にちゃんとなっているんですよね。それぞれの道という意味なんですが、これまでの再登場キャラたちで、お別れの場面をあそこまでしっかり描いたのってセレナだけなんですよ。むしろ分かれていくことが再会のメインテーマになっていて、これが本当に素晴らしいと思います。あそこで二人が語ったのはお互いの夢なんですよ。違う道を進む者同士、一瞬の再会で語り合う姿ってこんなの最終回メッセージの強調でしかないじゃないですか。変に最終回のエスカレーターのことを意識しなくてもいい様に、敢えてサトシとセレナをギリギリまで再会させなかった、これは大正解だと私は思いますね。そして成長を描くという意味でもセレナとサトシをぎりぎりまで引き合わせなかったというのは大正解です。だってセレナはサトシの前ではどうしても乙女になっちゃうんですから。セレナがサトシに学んだことをどう生かして、パフォーマーの先輩としてどう他人に教えているのかなんてサトシがいたら分かりませんよ。サトシがいたら、セレナがサトシから貰った物が見えないですよ。サトシがいないからこそ、分かれた後のセレナを見れるのですから。その成長した姿を見た後に、一瞬サトシが走った時にセレナが発した「サトシ!」という声の感情を聞くことに意味があるんです。コハルと話していた時とは違う、サトシと話すときの声を、成長した姿を見た後に聞くことこそ意味がある。そういうものでしょ?成長から一瞬だけカロスのころに戻ったセレナ、それを描くという意味でもあの再会は本当に素晴らしいなと感じます。
こんなところでしょうか。
再登場一周年ということで1年経っても冷め止まないセレナへのクソデカ感情を文章に起こしていたら3500文字になってしまいました(笑)本当に素晴らしい再会だったと思います。やっぱりセレナが成長した姿を大切に描いたのは、このキャラがXY全編を通して成長に重きが置かれたことに対するリスペクトだと思っています。本当に良いお話をありがとうございました。
最後までご覧いただきありがとうございました!